恋愛では自己犠牲的な面もプラスになり得るかもしれない。でも、その他のシチュエーションで犠牲的になるのはどう考えてる?

――うーん、基本的にもめ事が好きではないんです。感情的な光景を見たくないし、感情的になりたくもない。よほどのことがない限り、人は感情的に物事を伝えなくていいし、最悪「もう止めだ」って諦められる。心のエネルギーもたくさん消費するし、良いことなんて無いのがよくわかったんです。

だから、自分では「犠牲」とは思わないけれど「俺が我慢したらこの場が回る」という時はたいてい、何も言わずにやり過ごします。多少「物言い」があったとしても。自分の気持ちを押し通すよりも、相手の気持ちを慮るほうがラクなんです。

あと、ごり押ししたいことって案外大した事じゃないんです。たいていは「俺、昨日芸能人見たぜ、すごいだろ」みたいなものばっかりで。で、周りから「すごい!」って褒めてもらいたがってる。それが、客観的に見るとすごくダサいな、って。そういうことを言うのは良いと思うんですけど、そういうことばかりを伝えたくて「俺が、俺が」ってなってしまうのはみっともないなって、意識して避けるようになった。

だから、犠牲って言うと少し大袈裟かもしれません。
 
なぜ揉め事が好きではないのかと考えたんですけど、(そりゃ、好きな人はいないんでしょうけれど。)小さい頃に両親の喧嘩を見ていたからだ、と最近思うんです。
自分は両親の離婚を経験していてひとり親家庭なんですけど、そこに行き着くまで、世間だと普通は多少事件になるようなことを経験しているんです。もしかしたらある日死んでいたかもしれないくらいの。

だから、余計に揉めごとを避けようと塞ぎ込むようになった。間接的に自分の事で喧嘩が起きたりもしたから、そりゃ避けますよね。

だから反面、いまは色々な人と揉めたくない、って思っています。自分を否定されてもいいけれど、揉めない。たまに優しいとか褒められても、ちっとも嬉しくない。別に優しいわけじゃないし。でも、最近、それも良くないかな、って思うことがあったんで、変わっていきたいです。

よく、「自分の時間や気持ちを犠牲にする」と言われることについて、どう考えているのか。

――他人が喜んでくれるのが嬉しい、というのが真っ先に生まれる感情ですね。これはもっぱらプラスのことが後に待っている場合。少し遠出して相手の欲しいものを買ってきたり、翌日も仕事があるのに深夜遅くまで電話やメールをしたりすることも、結果、相手の心が落ち着いたりしてくれたら、それで自分としてはすごく救われるんです。

逆に、自分と、相手の間で悪いことがあったときに、背負いすぎることもあります。極端な例で言えば、恋人と別れた時に、明らかに相手の方が悪い(と一般には言われるような)シチュエーションでも「あぁ、でも俺がもっと良い人間だったら別れたりはしなかったんだろうな」って思い込んで、結果、全部自分のせいだと思っちゃってるんです。今のいままで。

相手が悪いと思い切れない理由はなぜだろう、って考えたんですけど、かつて自分と相手の間で生まれた幸せな時間をすごく大切にしているからなんです。「昔はあんなに良いことあったじゃん!」って思うと、もうそこから悪くは思えなくなる。相手が自分に与えてくれた時間を肌身離さず抱えてるんです。気持ち悪いくらいに。未練ではないんです。よく間違われるんですけど。

好きになる人って、適当に選んだわけではなくて、たとえば服で言えば、沢山のお店を探しまわってやっと気に入った一点モノと同じだと思うんです。
女性はこの世に沢山いるけれど「付き合ってみようかな」って思える人ってそんなには出会えない。性欲とか抜きにして。性欲だけで突き進めるものって、そんなに長続きしない気がします。

吐く息すらも。

久しぶりに更新してみます。
毎日アクセスしてくれる人、ありがとう。

ーー

少し前に、同じ大学の男の子と新宿で飲みました。
美味しい梅酒をたくさん用意してくれる、
ちょっと町外れの素敵なお店。

彼は同じ大学とはいえ、年齢は僕より4歳下。
いまは金融系に勤めている、安泰な男の子。

付き合っている彼女とは長くて、
そう遠くはない時期に結婚をするつもりだという。
とは言っても、大袈裟な披露宴を行うつもりはないらしく
区役所に婚姻届を提出して終わりだね、なんて言って
優しく笑っていた。

裏表のない彼の考え方や振る舞いを
僕はたいそう尊敬している。

男性で好きだな、と思うタイプはこういう人が多い。
福岡で知り合った男の子もそんな感じだったな。
直球、って感じ。
だから話してて空気が澄む気がした。

打算で動いている人は、申し訳ないけれどすぐわかる。

女の子も、そういうタイプはわかるし
申し訳ないけれど縁を切る。

自分に悪い影響を与える人、
そうした人とは、遅かれ早かれ
縁を切らなければいけない。

打算で動く、ということは
相手にも打算で動かれる、ということを
理解しておくべきだと思う。

話がそれた。

そんな彼が、
普段は恋愛の話など全くしないのに
その日に限って、こんな話を聞かせてくれた。

「…一緒に暮らすなら、
呼吸の合う人が良い、って言うけれど、
それは本当だね。

一緒に眠っているときに
彼女を見つめていて思うけれど、
本当に同じように
呼吸をしているのがわかるよ。

だから、一緒にいて居心地が良いし、
ずっと長く傍にいたい、
いて欲しいと思う。」

普段こんなことを言わない
彼から発せられた言葉だっただけに
聞いているこちらが照れてしまう(笑)。

趣味よりも、何よりも、息が合うこと。

考えてみると、
たまに会話のテンポがずれることや
話すタイミングが被ったりして
なんだかなぁ…って思うことあるなあ。

息が合う人とは、
きっと、ちょっとした会話でも
落ち着いてすすめることができるし
歩く速度や歩幅、
食事をする速度も
同じなのだろう。

人間ってさ。
うわべだけじゃわからないこと、
きっといっぱいある。

だから、うわべだけを見て
わかった気になるのも
あまりよいことではないはずだし

うわべだからといって
手を抜いて人に何かを伝えることも
また違うと思う。

ちょっとずつ
コミュニケーションを深めていって
そのたびに相手がわかるようになって
本当に、その人にそばにいてほしいか
わかるようになるんじゃないだろうか。

息が合う、ということに
たどり着けるんじゃないんだろうか。


もうすぐ冬。


寂しがるのもいいけれど
寂しさをひとりでしのげないと
ふたりでやってけないよ、きっと。

「第33回足立の花火」

なんと幸せなことにフォロワーさんよりお誘いをいただきまして、
今年初めての花火大会に出掛けてきました。

場所は荒川。金八先生で有名なところです。
(ちなみに2月にも出掛けています)

18時開始のため、17時に着いてみたらすでに人混みの北千住駅
かつてこれほど北千住駅が人で溢れている光景を見たことがあるだろうか、否。
というほどの混み具合。

集合後、ゆっくり土手方面へ移動。
道中でビールを手に入れ、ほどなくして乾杯。
(酒屋さんは300円だったのに、出店は500円で笑った。)
あわせて、焼きそばとたこやきと鶏肉と唐揚げを手に入れる。

唐揚げは詰め放題と書かれているのにもかかわらず
タクくんいわく「オヤジのさじ加減」で適当に詰めこまれてた。
この言い回し、絶妙でしばらく笑ってたのは秘密。

というわけで買い物をしていたら18時。
土手に到着と同時に花火スタート。

Camera+というアプリで連写しつつ空を見上げて花火を眺める。

近くで見られて、すごく奇麗だった。

ジュビレーションみたいじゃない?
ちがう、ブラヴィッシーモ!だ。

あっという間に終焉。
楽しい時間は過ぎるのが早く感じる。

チョコバナナShop。

この子が、がんばってたよ。

持って生まれた色。

数年前に占いをしたときの過去ログを見つけたんですが、おもしろかったので転載します。

http://tanpopo-tane.com/
より。

■あなたの持って生まれた色 : LIGHT YELLOW

見た目は小柄か、がっちりしていたとしても健康的な雰囲気ではない。
どちらかというと蔭があったり、何を考えてるかわからない、
腹に一物ありそうで警戒されてしまう人が多い。
黙っていると穏やかそうで、話をしてもまくしたてる方ではないのだが、
頭の中では相手をよく見て、色々な事を考えつつ話し、
直観力やカンも鋭い人が多いので、見かけの雰囲気と内面はずいぶん違っている。

宗教的や、人智を超えたような物に対しても独自の見解や理屈をもっていて、
他人の口先にまどわされる事は少なく、いわゆる”自分の世界の中の王様は自分” というタイプ。

ただしその考えは他人に押しつけたりはしない。

が、しかし一旦他人に激しくプッシュされたり
自分の中に土足で入られたりしたとたんに
相手をとことんまで追いつめ、負けない。
強い障害がでればでるほど、本性にある強い部分が出るが
ケンカやいきなり切れるという形ではなく、頭脳でゆっくりと相手と戦う方法をとる。

また、逆から言えば、そういう戦闘的な方法をとる事はこの星の人には向かない。

又、幼少期に複雑な家庭に育ったり、丈夫ではなかったり、
コンプレックスを持つような出来事が多く起ったりするため、
忍耐力をつけなくては生きていけない、と若いうちに悟る人が多いためか、
暴力的なことは起こしにくい。

起こした人は徹底的にやってしまうため、本当に破滅してしまう。

忍耐強く少しづつ力をつけ、若いうちから
年長の信頼できる人々の輪の中へ入れてもらうことによって、
40代位から大きく運をつかんでゆく。

基本的には金より人にほめられたり、
自分の居場所をみつけて好きなことをやっているのが好きである。
プライドが高く、自分で自分を売りこんだりはできないので
とにかくよき理解者やパトロンを見つけて引きあげてもらうこと。

いま読んでも大半の内容は当たっていると思う。
器用に立ち回るように見られて、案外立ち回れない、ということが多い。
そういう意味では、分かりづらい僕の傍に居てくれる人にはたいそう感謝しなければならないなあ、とは思う。

さしだされるもの

京都旅行からずっと抱えていた想いをしたためる。
人に世話を焼かれたり、そのおかえしに世話を焼くことに、自分は飢えているのだ。

本当は、心底寂しいのだと思う。
それを感じないように、表に出さないようにしていたけれど、もう、それを無視できなくなってしまった。

…どんなに日々が満たされなくても、ふとしたときに電話やメールができたり、
「おはよう」や「おやすみ」を言える人がそばにいることってきっと貴重だ。
そして、いいことだけじゃなくって、心配したり、されたりすることも、
そういう間柄だからこそできることなんだよ。

だから、付き合うっていいな、って思う。
無関心から歩み出た気持ちが結ばれて、
良きにつけ悪きにつけ相手に関心を抱いていられるなんて、
こんなにたくさんの人がいる世界で、そうできることじゃないよ。

「たのしみ」と「したしみ」と「かなしみ」と「くるしみ」と「いつくしみ」。
付き合う人どうしが分かち合うべき、5つの”しみ”。

僕も、はやくこれらを分かち合える人に出会いたいです。