My friend forever

ねぇ、きづいてた?
今日で地震発生から5ヶ月なんだよ。

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「マイフレンドフォーエバー」

ということばは、とある方のつぶやきを読ませていただいたときに目にした。

「友達」という関係性は、それこそお互いの間に大きな変化がなければ
いつまでたっても「友達」のまま。

だから、ときに「男女」の関係になるよりも
「友達」のままでいたい、と考える人がいるのでしょう。

自分が経験したなかでも、一度「男女」を踏まえた後に
「友達」の間柄に戻れた人は、残念ながら、いない。


一度はとっても相手のことを理解しあった仲のはず。

それこそ、一糸まとわぬ姿から、気を抜いたときの顔の表情まで。
世界にわたしのことをここまで理解してくれた人がいるなんて、
と心躍った人もいることでしょう。


だから、男女の関係に終わりが訪れたが故に
関係性がすべて消えてなくなってしまうことは
本当にもったいなく、残念なことだな、と思う。


でも、そうしたところを知られているからこそ
それが時に重荷となって離れたいとも思うのだろう。

恋愛をする、とは、美しいものであると同時に
ひどく残酷なものであるとも思う。

そこにいくと、友達、とは都合の良い関係性だ。

僕は一度友達になると、たいていの場合は長くつきあう。

一番長い友達は、小学生のころからで、もはや23年ほどになる。
趣味を始めて知りあった友達だって、この夏で14年目に突入した。
小さかった子供たちが立派に働いてる。
そういう成長を垣間見られて幸せだと思う。



でね。



ここからはもう正義感というか、観念のようなものなのだけど
知り合った人に嫌なことがあったら、なるべく、守ってあげたい。

いや、守ってあげたい、
なんて上から目線ではなくてもいい。

ただ、関わってくれた人は、僕の心の中で大切な人に位置づけられるから
なるべく、どんなに小さなことでもいいから、守れたらいいなぁって思ってる。

できる限り。
だから、「マイフレンドフォーエバー」ということばには、親しみを感じる。



今年何度も転びそうな自分を救ってくれたことば。



「…親切なんかじゃないよ、全然。誰もを助けられるわけじゃないしね。
でも、手が届くのに手を伸ばさなかったら死ぬほど後悔する。
それが嫌だから手を伸ばすんだ。」


出典元は恥ずかしいので書かないけれど
いま、必要なものって、幼い頃に見た純真さと
まっすぐさだと勝手に思ってる。


僕は、もう、手が届いたのにみすみす見逃したりはしないよ。