恋愛では自己犠牲的な面もプラスになり得るかもしれない。でも、その他のシチュエーションで犠牲的になるのはどう考えてる?

――うーん、基本的にもめ事が好きではないんです。感情的な光景を見たくないし、感情的になりたくもない。よほどのことがない限り、人は感情的に物事を伝えなくていいし、最悪「もう止めだ」って諦められる。心のエネルギーもたくさん消費するし、良いことなんて無いのがよくわかったんです。

だから、自分では「犠牲」とは思わないけれど「俺が我慢したらこの場が回る」という時はたいてい、何も言わずにやり過ごします。多少「物言い」があったとしても。自分の気持ちを押し通すよりも、相手の気持ちを慮るほうがラクなんです。

あと、ごり押ししたいことって案外大した事じゃないんです。たいていは「俺、昨日芸能人見たぜ、すごいだろ」みたいなものばっかりで。で、周りから「すごい!」って褒めてもらいたがってる。それが、客観的に見るとすごくダサいな、って。そういうことを言うのは良いと思うんですけど、そういうことばかりを伝えたくて「俺が、俺が」ってなってしまうのはみっともないなって、意識して避けるようになった。

だから、犠牲って言うと少し大袈裟かもしれません。
 
なぜ揉め事が好きではないのかと考えたんですけど、(そりゃ、好きな人はいないんでしょうけれど。)小さい頃に両親の喧嘩を見ていたからだ、と最近思うんです。
自分は両親の離婚を経験していてひとり親家庭なんですけど、そこに行き着くまで、世間だと普通は多少事件になるようなことを経験しているんです。もしかしたらある日死んでいたかもしれないくらいの。

だから、余計に揉めごとを避けようと塞ぎ込むようになった。間接的に自分の事で喧嘩が起きたりもしたから、そりゃ避けますよね。

だから反面、いまは色々な人と揉めたくない、って思っています。自分を否定されてもいいけれど、揉めない。たまに優しいとか褒められても、ちっとも嬉しくない。別に優しいわけじゃないし。でも、最近、それも良くないかな、って思うことがあったんで、変わっていきたいです。